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オーナーズストーリー

第三章 : 応援者は当時のココイチ上層部

宗次氏との出会いが、人生の大きな転機に。
独立を目指し、ココイチで働いた日々。

仕事を無くし、そんな中見つけたのがココイチの募集記事。「2年で独立できる」という文面に惹かれ、妻と二人で面接にでかけました。

そのときの面接官がCoCo壱番屋の創業者である宗次徳二氏。その場ですぐ採用され、友人宅に厄介になっている事情を話すと、住む場所の手配までしてくれました。不動産屋を一緒に回ってくれたのは当時の専務。一週間後には住むところも決まり、家電一式も揃えてもらい、給料から少しずつ返していくことに。引っ越しを手伝ってくれたのが当時の課長。ココイチの配送カーで向かえに来てもらったことを今でも覚えています。

ココイチで働きはじめ最初に勤めた一宮、そして稲沢の店舗で、ココイチのすべてを学びました。ココイチの業務はかなり忙しかったですが、以前務めた名古屋駅の居酒屋の仕事と比べたら、自分はそれを全く感じないくらいでした。どんな業務を任せられてもとりあえず手だけは速かったため、仕事ができると勘違いしていたと思います。

そのため、目上の人たちとの関係性がうまくいかなかったこともしばしばでした。振り返ってみると随分生意気だったなと思います。それまで自分は人一倍頑張ってきたんだという思いや、仕事が速いという自信が、傲りにつながっていたのかもしれません。

15万の手取りで、家電のローンを払いながらの生活は決して楽ではありませんでした。店で余ったご飯を電子ジャーに入れて持ち帰り、妻が買ってきた10匹100円のメザシがおかずという、一昔前のドラマのような貧乏生活。とにかく働いてばかりの毎日が続きましたが、楽しかったんです。

第四章 : 応援者は修行時代の上司達

周りに助けられながら、
ひたすらに夢に向かいつづけた修行時代。

金銭的、体力的にも厳しい中、楽しく働いていたのには本当に周りに不思議がられました。その時自分を動かしていたのは早く独立するんだという目標でした。

3店舗目に務めたのは初めての名古屋市内の店舗のまたさらに忙しい店舗でした。少しでも信頼され、沢山の仕事を教えてもらえるよう、店長が休憩中に、こっそり掃除をするなど指示が出る前に先回りしてどんどん仕事をこなす・・・。店も大きかったので新しく覚えられる仕事も多くありました。また、同じ年くらいの大学生のアルバイトも多かったのでそれも仕事が楽しめた理由の一つ。

と、同時に強く感じていたこと・・・。

「大学生のアルバイト達が社会人一年生の時に、俺は社長一年生になっているんだ。」

その目標が、自分のモチベーションを支えてくれていました。

21歳で初めて港区当知店の店長を経験。パートさんたちとうまく行かず、お店をまとめるのに苦労しました。自分の仕事のスキルには自信があったのですが、もともといるパートさんたちからは偉そうだと疎まれ、自分の補佐ではいってくれた本社からの従業員からも反発され・・・。月に一回行われる店舗会議で、宗次氏や当時の課長を前にフタッフたちから「店長にはついていけない」と直談判されたことも・・・。

宗次氏に降格されそうになったところを、当時の課長に助けてもらい、別の店舗で店長として再スタート。1店舗目の失敗を繰り返さないよう必死でした。2店舗目にはもともと知っていたスタッフが多くいたので、随分助けられました。

どんな立場であっても、周りの助けなしには何も成し得ない。今もそれを痛感します。

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